Talk on Breeze : Vol.7 加盟団体会長インタビュー
JSAF外洋東海会長 坂谷定生
聞き手:高槻和宏
2012/08/11
ジャパンカップ2012、レース本部にて
高槻–
外洋東海のレース主催力、すごいですよね。
今年に入って、4月~5月の大型連休には第2回の沖縄-東海レース。終わったと思ったら5月末にはエリカカップがあって、7月中旬の全日本ミドルボート選手権と7月末のパールレース、そして8月のジャパンカップと、ビックレガッタの連続で。
これみんな同じ顔ぶれで企画して回しているんですか?
坂谷–
若干違うけど、半分くらいは同じメンバーですね。
–そもそも、何ヶ月前から準備に入るんですか?
今回のジャパンカップは8ケ月前かな、本来だったら1年前でしょうね。
沖縄なんかは1年半前からね。開催を表明したのは。
– ということは、沖縄-東海なんか、終わったらもう次回の計画に入ると。
予算のこともあるでしょうし、やるかやらないかを決めるだけでも大変そうですね。
そうです。東海の基本的な考え方は、まあ当然スポンサーからの収入もあることはありますが、参加費用をベースにしてその範囲でやりたい、というのが元々の考えですね。
開催するかどうか決断するときに、常任委員会なり理事会で「赤字が出たら、みなさん負担していただけますね?」と念を押してます。
— 個人で負担ですか?
そう。それくらいの気持ちでやって欲しいってことですね。
特に第1回の沖縄のときなんかはね、そうやって。
— 実際、全部でいくらかかるのか。何艇エントリーしてくれてエントリーフィーいくらとればペイできるのか、計画練るの難しそうですよね。
だから、余計に、ね。昔やってた沖縄-東京レースに関わっていたわけでもないしね。
— 参加艇側からするとですね、公示は出てるけどホントに艇数集まるのかよ? ちょっと様子みよう、みたいなこともあるだろうし。みんなが様子みてたらエントリー全然集まらないし。
でも第1回の沖縄-東海レースで12艇もの参加艇が集まったのは、これまでずーっとパールレースを続けてきた実績、外洋東海がやるんなら実現するだろうと参加艇の方も考えてエントリーしてきたようなところがあると思うんですよね。
いやあ、はっはっは。
いやね、パールもスタート地点を鳥羽から五ヵ所へ移したでしょ。あの頃、参加艇減ってて。でもその後だんだん増えてきて、今年は50艇越えたんだけど。結果的にあのあたりが底だったということになります。
理由は難しいけど、ありがたいなと思って。
そういうのが、実績であったり、そんな経験であったりを評価してもらっているって事かもしれませんね。
–あのとき、スタート地点を変えた理由は?
理由は泊地。いろんな方がいろんなこといいますけど。泊地です。
逆に言ったら、鳥羽には泊地が無かったので。
–そうそう、湾の真ん中に台船を浮かべてそこに舫ってましたよね。あれ、主催者側で設置したんですか?
そうです。あの頃、僕も一週間泊まりきりで通船やってました。
その台船でも浅くて、漁師さんのイカダに付けさせてもらったりもしたけど、今度は台風とか強風でイカダごと流されたらとか考えたらそんなの管理できませんからね。
あと言われたのが、通船もありがたいけどやっぱりポンと着けたところで降りられるようにしてくれと、特に関東の方から言われましたね。
まあ、それは当然やなぁ、と。
参加艇が大型化して水深が足りなくなって、だんだん深いところへいったんだけど、係留の心配事がさらに増えてきたわけです。
そこで、係留はハーバーに任せ、我々は他の部分に力を入れた方がいいということで、志摩ヨットハーバーのある五ヵ所湾にしたわけです。
五ヵ所は遠いので参加艇数が減るかもしれないけど、安全などを考えると五ヵ所に移動するのがベターだろうという決断をしたんです、最終的にね。
— 僕は回航してそのまま居残り組だったから、陸路の不便さは他人事なんですけどね(笑)
駅からハーバーまでマイクロバス仕立ててるんですけど、それも運びきれなくなって。バス会社の人に観光バス回してもらったりして。
何時に何人来るって言ってくれれば、何台でも用意しますよ。でも、それを集計するの無理だから。
— いやー、レースの主催って大変ですね。
主催者側でコアになるのは?
10人前後。
理事会としては最低2ヶ月に1回。
そこで実行委員会が立ち上がれば、それも新規のレースだとかなりやらないとつめができないですね。パールレースなんかだともう50何回かやってますから、だいたいツーカーで。いうたら紙一枚でぱーっと伝えれば分かるという、
……まあそんなふうになればいいんですけどね。
— パールの場合、フィニッシュ地点ともいろいろ打ち合わせが必要ですよね。
それは、やってます。
— そういうノウハウがあるから、沖縄-東海もできちゃうってことですか?
もちろんそういうのもありますけど、うーん、沖縄の場合はどちらかというとこちら主導でやってます。パールは外洋東海と外洋湘南の共同主催ですけど、ああ、JSAFも当然ですけど。
沖縄の場合はJSAFと外洋東海の共同主催で、外洋沖縄は協力だけなんです。
泊地の手配とかは沖縄にしてもらいますけど。
ようするに我々の考えは、主催というのは、こないだ事故起こりましたけど、そんな処理とかお金の問題とか、いろんな問題が出たときに最後まで責任をとるというのが主催。だから共同主催というなら、それらの責任はフィフティー・フィフティーですよね。沖縄さんはそこまでは……という話でしたんで、これでいきましょか、と。協力はしますよ、と。
— ああ、そこ重要ですよね。
共同主催で、JSAFに加盟していない団体と加盟団体の共同主催って多いんですよ。今おっしゃったような何かのときに責任関係、金銭的な問題も含めて、ちゃんとしているのかなと。
当然ですね。私だったら……。まあ、そこまで契約書まかんと、逆に。
— 実際は両団体の中の人は同じだったりすることも多いみたいなんですけどね。
ハイハイ。でも、そういう訳にはいかんでしょ。法的な部分が絡んだら、余計ですよね。だから、沖縄-東海レースも東海だけになったわけで。
そういうのも含めて、常任委員会では「(主催するなら)腹くくれよ」っていうわけです。
— 中途半端な共同主催はしないってことですね。
そこでミドルボート選手権です。
10年位前に、東海で一度やってるんですよね。
私は毎年全日本やっていると思ってたのね。でも話を聞くと、昨年関西でやるまでずっとやってなかったみたいで。
それで、どこからか、関東、関西集まって中部で全日本やらないかという話が来たみたいで。一度皆さん集まって話してみてくださいというのが僕の提案だったんです。
いろいろあるんだけど、東海の名前出すなら出しますよ、と。
東海ミドルボートクラブがメインで、外洋東海はサポートするよと。
東海ミドルボートクラブの核になる人は、外洋東海の理事であったり副会長であったりするんで。
— 東海ミドルボートクラブが核になって、日本ミドルボート協会作ってJSAFに公認もらうなり特別加盟団体になっちゃって、毎年中部で全日本やったらどうですかね?
いやいやいや(笑)
今ある各地区のミドルボートクラブで独立して行動したいという部分があるかわからないから。
僕の考えとしては、来年やるにしても、あくまでも(関東、関西、東海の)三者に戻して来年どうするかという話をしてもらわないと。
— なるほど、レースの主催というのは、そうそう簡単なものではないってことですね。
今回ミドルボート選手権に出ていた船のほとんどはジャパンカップにも出られるサイズなんですよね。でも、あちらには28隻出てたのに、そのうちジャパンカップに出てきたのは2隻だけ。
と、考えると、ミドルボートの問題はジャパンカップにも関わってくると思うんですよね。同じ外洋ヨット日本一なんだから。
そうですね。
そこらへんはね、ほんとに僕もやってみて難しいと思いました。
どういう区別をするんかという。
— 一昨年の西宮ジャパンカップでは、35ftクラスも4艇出ていてBクラスってなっていたんですけど、なんとなくオマケみたいな感じで可哀想な感じがしたんですよね。
そこで、ミドルボートってクラスを最初から決めておいてタイトルつければいいんじゃないかと。
ああ、今言われるのは、一発のレースにして、いうたらジャパンカップとミドルボートの二階建てのようなイベントにするということ?
それも含めて、参加する方々の意向をいろいろ聞いてみないとね。
— まあ、ミドルボートの方の中には、ロングは嫌だという方も少なくないと思うんですけど。
そういう意味ではこないだのミドルは、終わった後パールレースにも出られるって、すごくいいアイデアですよね。
そこらへんもあってね、そういうセッティングはしたんですが、結果的には良い風が吹いてみなさんには満足していただけたわけですが、あの時期、無風の可能性も高いんですね。
— でもパールに合わせるとあの時期になっちゃうと。
そうそう。
パールだって、今年は風があったから良かったけど、風の無い年はたらたらだしね。僕も江ノ島で待っとるのが辛いという年もあって、そらもうしかたないけどね。
でもジャパンカップとかミドルボート選手権をやるのであれば、やっぱり良い条件でやらしてあげたいじゃないですか。そのへんが非常に難しいところですね。
永遠の課題やろうね、と、僕は思ってますよ。
レースを主催するということは、大変なのですね。
ということで、この後、会長のお話はさらに続くのですが、それはまた別の機会に。
このインタビューの後、さらにジャパンカップに参加していたセーラー諸氏のお話も聞くと、是非とも来年も東海でミドルボートやってくれという意見は強く、そんなご意見も別の機会に。
ということで、あれもこれも、別の機会につづく。